水ぎわの平和ちゃん
悲しい事がまた起こりました。
秋葉原のことです。
自分が悪くも無いのに、
自分が悪いと、
思いも考えもしない一人の狂人に、
命を奪われたのです。
生きる権利を奪われたのです。
死刑の反対を唱える人も世の中には居ます。
また、これから裁判員制度が、
国民の義務の中に組み込まれる時代です。
複雑な心で、事件をとらえ、
また、法を考え、
殺された方々、手傷を負われた方々のしがらみを考えると、
倖せに生活できる国の根本的な所から見つめなおす作業って、
大切だと思うのです。
海外は、自由に対する考え方がとってもエネルギッシュです。
私は、自分達の、
血と汗と努力で勝ち取ったものだからだと思うのです。
しかし、日本は、戦争に敗れ、
占領軍から与えられた状態で、自由を手にしました。
戦争による大きな犠牲で、
命の上にあるということは否定しませんが、
自由を求めるために、戦い、勝ち取ったそれとは、
意味合いが違う気がするのです。
生きる権利、楽しく平和に生活するための権利という自由、
そして、それは尊いものであり、
他社におびやかされる事も、
またおびやかし奪う事もゆるされないという、
当たり前の事が、ぼやけている気がします。
死刑はいいとも、悪いとも言えないという人が多数いる事でしょう。
でも、実害がないから言えるのかもしれません。
「悲しい事件を起こす前に、何か出来る事は……」
とよくニュースで耳にしますが、
自分の都合や、満足や、身勝手のために、生きる権利を奪ったら、
死刑にしましょうと言える位の一番最初のキビシイ所を示すのも、
国政の安全、生活を守るための一つの道では、と思うのです。
命の尊さを説く身でありながらの発言ですけど、
先に、禁じ手を示さない限り、
この手の事は減じないと思います。
さらには、裁きに加わる国民が、
私情をはさまず、考える標べが無ければ、
断ずる事は難しいと思うのですが……。



