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2007年9月28日

石田事務所、炊飯器事件

炊飯器を買いました。

何せ、お米を食べるという生活をしていなかったので
とってもワクワクしまして、丁度、松茸が届いたので、
先ず松茸ごはんを炊いて、事務所の皆で頂き、
次に、鯛が届いたので鯛めしを作り、
また松茸ごはんを作り、
栗ごはんを作り・・・。

なぜか炊き込みの、具入りのごはんばかり。

唯の一度も、白いごはんを炊く事をかたくなに拒み、数日。
とうとう玉が、禁を犯して白いごはんを炊きやがりました!
チッヒーは食べてないですけど。
頂いた鮭があったから、鮭のごはんだって作れたのに・・・。

まっ、これからも使用し続ける中で、
どんな使い方になるかは知りませんが、
パスタを茹でるための道具があったり、
○島屋でパンを買ったりという生活の方が染みついてるので、
きっと、白いごはんが日の目を見る事は、
あまり無いと思います。

しかし、事務所を移ってからというもの、
外に行って食事をする事が減っちゃいました。

Posted by 石田千尋 日々徒然の言葉 |

2007年9月27日

ティータイムだよ

紅茶を入れました。
銀のティーポットで、ダージリンのファーストフラッシュを
頂きました。

玉ちゃんは、小学生の時にレモンティーのクソまずいのを
飲んで以来、紅茶と仲良くなる事なく生きてきたとの事で、
今回事務所で入れた紅茶は人生3回目の紅茶らしいです。
紅茶というと、“赤い”というイメージがあるらしく、
そのダージリンの色の薄さにビックリしてた様ですが、
深い味とマスカットの様な香りに心を打たれた様です。

「もっと早く知っていたら」と、人生を悔やんでました。
でも、もっと早く知り合ってても、わからない年令だったら、
きっと砂糖とかミルクを入れて台無しにしてたと思うし、
今で良かったのではと思います。
テル君は、何か、ボーッとした様に1人の世界に入って
感動してました。

ティーキャディという紅茶を保管する箱や、
ティーストレーナーの銀の美しい飾りが付いたものも
道具が立派なのに、俄か仕立てで紅茶を楽しもうとしたせいで、

ティーカップが無く、小さいコーヒーカップで飲むはめに・・。
でも、心を込めて“美味しく入れ~”と入れると、
きっと美味しいのですよ。

今度は、ティーカップで飲もうと思います。

Posted by 石田千尋 日々徒然の言葉 |

2007年9月25日

鯛だ鯛だ

広島から、事務所の移転のお祝いと、鯛が届きました。
大きいのが2匹、小さいのが6匹!

3人では食べきれないので、以前にも登場したヒロカワの
おばさんと、花きよのおやじさんにおすそわけ・・・。
しかも、鯛めしのレシピと一緒に・・・。

さて、我が事務所ではというと、先ず大きなのを1つおろして
松皮造りにして、中骨は障子焼き、残りは潮汁
今1つの大きなものは、蒸し器に入れ昆布を敷き、上に松茸を
のせて酒をかけて、鯛の酒蒸しに。
そして、小さな鯛は鯛めしにと、山盛りメニューで
食事をする事にしました。

鯛めしは、テルが作り、玉が身をほぐし、
お造りは、玉とテルが切り、チッヒーは鯛をおろして松皮に
するまでをして、酒蒸しも作りました。

3人ほど人を呼び、皆で食べたのですけど、丁度良い量でした。

しかし疲れる。
料理は疲れる。
そしてチッヒー、後片付けは当然キャンセル・・・。

Posted by 石田千尋 日々徒然の言葉 |

2007年9月20日

見ると聞くでは

“見ると聞くでは大違い”という事は、本当に世の中
多いものでありますね。

「車両内で、高校生がピストル型のライターで遊んでいたのを
警察が・・」と、いかにも良い事をしたかの様に警察から発表。
しかし、実際はどうだったかという事が明るみに出ると、
何ともお粗末な話です。

最初の報道で「酒を飲んだ帰り」という事があったので、
“もしや、何かあるのでは?”と、ニュースを額面通りには
信じなかったのですけど、やっぱりね・・。

物事には、相応しい手順があると思うのですよ。
車両内での事は、車掌が行えば良いのです。
車掌に通報して事を収めて頂く。
チッヒーも、必ずそこの責任者に言って頂く様にして居ります。

まして、自分自身酒を飲んだその後で、となりの車両の出来事、
丸く収まった事に対して、電車から降りて追いかけてまで、
カバンの中のライターを改めて取り上げ、人に暴行を及ぶとは、
何をもってして、この国の公序良俗を典範とするかが疑われます。

きっと、この高校生は“何をやっても怒られる”
“悪いと思って止めても認めてもらえない”という心に
傷というか、やるせないというか、落胆する様な思いを、
その記憶にしっかりと残す事でしょう。

今の自分が酒で平常では無いという事位、自ら悟ってしかり。

2匹目のどじょうを考えたか、美談にしたかったのかは、
当人では無いので知るよしもありませんが、世の中の
人々に対して、あまり良い印象を与えなかった事例が、
また1つ増えた事だけは確かです。

面目や人々の聞こえよりも大切なものをしっかりと守らないで、
公明正大な公職は、なかなか勤め上げられないものなのでしょう。

諫(いさ)められて潔く良く、自らを直ちに律し、
普通の良い子に戻った高校生から、
もっと学ぶべき所が多い大人は山程居る事でしょうに。

情報とは情けに報いると書きます。
情けを集めるものではないのです。
この問題で、かの高校生が心の誠を失わない様に、
良い大人になってくれる事だけを望むものです。

もし誰か、かの高校生を知る人が居るならば、
「良い体験をした。悪い大人の手本を知ったのだ。
ああは成らぬ様に、自分よりも無力な人や子供に対して、
正しい人の悟らせ方の出来る大人になれ」と、
伝えてあげてくださいな・・・。

Posted by 石田千尋 指南の言葉 |

2007年9月19日

重たいフライパンで頭の料理

事務所を移ってから、何か原稿はすらすらといくし、
気分もとっても良いです。
何より、台所がちゃんとしているので、何でも作れます。
(いや、出来ない物以外は全て)

新しくフライパンも買ったのですけど、
これが、重いこと、重いこと。
手首が痛くなりそうです。
(実のところ、折れそう)
空の状態でも重いのに、ここにパスタと合わせる具が
入ったりとか、中に食材が入るともう大変です!
持って、右から左、左から右への移動も苦痛!大変!

でも、ある事に気が付きました。
中の具を、トングで取って皿に運べば良いのです。
ここに辿り着くまで2日かかりました。

やっぱり人間ってだめですね、頭の使い方を
もっとやわらかくしなくては。
染み込んだ考え方や、動き方に縛られるのではなく、
どうすれば楽になるかを工夫しなくてはいけないのですね~。

ちょっとした発見や、発想の転じ方は大切だと思うのですが、
「苦痛から先ず逃げる!」というところに、
発見の近道がありそうです。

Posted by 石田千尋 日々徒然の言葉 |

2007年9月18日

外出は疲れる

体調の管理という事に気を使うようになった気が致します。
少しの事で疲れて、熱が出るようです。
弱ってきたのかな~。

この前、タカ○マヤに行って、店の中に3時間ほど居て、
あっち行きこっち行きとお買い物。その日から体調が悪くなり、
しばらく熱が下がらない日々が・・・。
買い物1つにこの調子。
う~ん、先が思いやられます。

しかし年を取ると、外にあまり出なくなるとか・・・。
買い物(食材ではなくオシャレな物)の回数も減るというけど、
きっと、体力・体調も関係しているのでしょう。

チッヒーも、20代の頃とは違って買い物にあまり
行かなくなりました。
趣味が変わったのか、どうでも良くなったのか、
服は作るけど、平素に着るカジュアルな物、
ここ数年買ってないような気がするのです。
自分でも不思議な感覚なのですが、
どうでもいいと思うようになっちゃったんですね、きっと。
でも、かといって、全てに対してどうでも良くなっている訳
ではなく、その重きを置く所が少し変化しているだけだと
思います。

事務所で楽しく仕事をする為に、少し良いマンションを
借りる事にしたのも、何か、自分の中で求めている物が、
年令と供に変化し続けている事の証だと思うのです。
以前の事務所は、古~い、少し暗~いビルの1室で、
1部屋だけの所。
およそ、人を招いてお仕事をするような空間では
ありませんでした。
今は少し広めの所で、仕事とくつろぎをしっかりと分けて、
楽しく過ごせるように工夫をしています。

何か、外に出るのが苦痛に感じるようになって来たんです。
外に出て食べるより、事務所で何か作って食べる。
ハマキはプカプカやりたい放題だし、コーヒーも好きなだけ
自分のペースで飲めるし、ボーッと出来る。
周囲に心配りや気配りをしないで自由にくつろげる。
そんな時間に、お金とエネルギーを注ぐようになりました。
「フケ込んだわね~」と云われても平気ざます。
自分の好きなように生きる事が倖福だからです。

チッヒーのテーマは、隠居になりそうです。
でも、今からこんなんじゃ、本当に70、80になったら
どうなってるんでしょう?

でも以外と早く、この世を去るかもね・・・。

Posted by 石田千尋 日々徒然の言葉 |

2007年9月14日

風が止むように去りたいのです。

何か難しい事ばっかり考えて、疲れてしまいました。
チッヒーは、これから先の事よりも、
何よりも考えなければいけない事がありました。
自分が息を引き取る時の事です。
“自分の棺桶は、自分の家から出したいな”

そんな事です。

死んだ後ってどうなるか。そんな後の事はケセラセラざます。
いくら愛着がある品も、あの世にまでは持っていけない。
しかも、あの世とは?
もっとわからん、語れん事ですよ。
集めて楽しんだ品々も、また次の人を楽しませるでしょう。
作らせた品々も、また次の人を楽しませるでしょう。
しかし、本を出したりとか色んな事が、
やがては消えていくまでの間、
死後、ゆっくりと消えるまで、
忘れられるまで、
そして忘れても、
記録として残っちゃうんですね~。
どうしましょ。
人類滅亡の時まで残り続ける。
忘れられても残り続けている。
しっかりとツメ跡を残そうと思ったけど、
やはり1人の人間が出来る事って、
そんなに大きな事は出来ないものです。

そういえば、奈良の国宝のお寺の天井に、
昔、大工が書いた落書きが残ってたっけ。
あれを知った時に、「お~、ここにもいたか」と少しおかしく
思えてきて、何かほのぼのしていいな~、どんな思いで
書いたんだろ~と考えると、やっぱり、「してやったり」という
感情かな~というところです。
あの落書きをしていた大工の方が、建立を命じた人や
僧侶よりも、ある意味、はるかに達観したスゴイセンスを持って
生きてたのかも知れません。
悟ったんでしょうね~。
人生・人間・世の中を、ちょっと、チッヒーも、
“落書き程度の生き方を、自然に出来るようになりたいな”
思う今日この頃でございます。

しかし、死という事を考える年になったのですね・・・。
花火のようにとか、櫻の散るようにとか人は言うけど、
風が止むような死が理想かな。

だってさ、残っちゃうものがろくじゃないんだもの。

Posted by 石田千尋 日々徒然の言葉 |

2007年9月13日

日本よ、どこへ行きたいの?

子供がかわいそう。介護に疲れた。
色んな理由で家族が殺し合います。命を消し合います。
何かがおかしいんですね。

将来に対する不安が常に付きまとい、“生きている”
ただそれだけの為にお金がかかる。
本当に、産まれてくるという事が地獄なのという考え方だって、
“なるほどね”と思うような時代なのですよ。
会社を経営して、高い税金を納めていた人だってホームレスに
なってる時代です。
今まで世の中に貢献したのに、ピタッと相手にされなくなる
どころか、国家からも見放される。
こんな事を書くと、「いや、政府はしっかりやってます」
目くじら立てて言う者もいるにはいるだろうが、
氷山の一角に何かしている事を、針小棒大に云って
アピールする事が当たり前と思ってて、その小さな所だけで、
あたかも全部、全体に対してやっているかの如く云う。
けしからん。
プン、プン、プン。

食品工場でも作って仕事を与えるとか、
そこで作った物を売ったり救済にまわすとか、
無駄にするお金を、もっと活かせばいいのにね~とか
思うんですけど。あれ、少し話が飛んだか・・・。

“マキャベリ”というイタリアの人が、本を昔に
書いてるのですけど、その中に、
「国家が大きくなりすぎて機能しない時には、元の姿に戻せ」
書いてます。
もっとシンプルに効率よくして頂きたいですね。
公務員だって、そんなに必要なのでしょうか?
少子化の事にも書いてあったな。
「国家が、国家財政の為に国民の財産を必要以上に
取り上げると、国民はやる気を失い、子供の数も減る」

今も昔も、権力の中枢にいる人は、同じ事を人に対して
平気で行うという事でしょうかね。
冒頭に書かれた悲しい事も、生活苦や不満を無くす政治が
始まれば、少なくなるか消えるかするんじゃないでしょうかね。

良い道徳の生きていた日本に戻る為には、
ゆとりとか思いやりに繋がるような心を、人が持てるように

ならなくてはいけないのでしょうけど。
たまに考え込んでしまいます。

この国家は、どうなろうとしているんだろう。
何を目指しているのだろう。

日本という国を考えると、そんな思いがよぎるのです。
“なる”とか“目指す”という事は、人の意思が反映されての
事ですから、誰かが引っ張ってるか、推進させてるか。
でも、それって主に、誰ありきの発想なのかなと考えます。
この考えは“ギモン”なのです。

何かと競争しているのか、競走しているのか、
とっても不思議なんですね~。
多分日本は、先進国とは言い難い国に近付いてるんだから、
もう見栄を張らずに、国内の細かな所をしっかりとやるとか、
「もう、お金を海外にポイポイ出せない状態です」
はっきり示した方がいいんじゃないの?とか思うのです。
「レートが、株が」とか言ってもね~。
結局ババヌキゲームでしょ?
しかも、エンドレスのロシアンルーレットですよ。
チッヒーは、株とかマネーゲームとか全く興味がないんで
どうでもいい事ですけど、足抜け出来ないヤクザの世界と
一緒ねと思います。
多分世界経済もそうなのでしょう。
この現在の価値感が、全世界的に、ガランと変わる
大きな出来事が無ければ、きっと、
このロシアンルーレットはエンドレスな事でしょう。
ニュースで報じられる悲しい出来事。
身近な家族の間の悲しい出来事。
このルーレットは、いつ、どこに止まるかわからないのですよ。

大変大変。

Posted by 石田千尋 指南の言葉 |

2007年9月12日

辞め時はいつだったのかな?

とうとうお辞めになるとかで。
しかし、辞め方がね~。
誰かを悪者にする様な、大義名分の様なものを立派に
作ったようですが、大事な政治上の案件を、自分が辞める時に
お使いになるとは、とってもヒキョーな気がします。
しかも「職責にしがみつく気は無い」とまでのたまわれたとか。
今更という気がしてなりません。
総理がこの国に存在しながらの、大空位時代を
見てきたのだとしか思えません。

後に続く有能な人材の今後をトップとしての立場で考えるなら、
8日で辞めた農水大臣の時に、職責にしがみつくのはやめた方が
良かったものをと考えてしまいます。
ゆくゆく、世の中が見えぬ方と残念に思います。

9月10日記す

Posted by 石田千尋 日々徒然の言葉 |

2007年9月11日

えっ、まだいるの?

結局、辞めちゃうんですね~。
ならば、大臣をやらなければ良いのにと思うのです。
自分が何をして来て、何が問題になるかくらい、
自分で議員の椅子にしがみ付いて生きて来た者ならば、
知らん筈は無いやろうに。
だってね、「私がやった事では無いから知りません」が
多すぎるんですよね~。

皆だって、自分の為になる事は人以上に一生懸命に
なるでしょうし、今までの経験で、他人様がそんなに一生懸命に
自分の為になる事をやって来れるでしょうかね~。
自分自身にとって、最も都合の良い事を人が勝手にやる事、
してくれる事は無いでしょう。たとえ何かやる事があったにせよ、
大事な自分の主人に迷惑のかかる事を勝手にするでしょうかね~?
本当に不思議な所です、永田町という所は。
そこだけ治外法権ですね。羨ましい事でも何でもなく、
ただただ、恥ずかしい事です。

任命された大臣は、宮中に参内して認証された証を賜りますが、何度書かせれば気が済むのでしょう。
おでまし願っているのに、恥ずかしいとは思わぬのでしょうか。

あの、総理にまだなりたがってるお方は、書けばきりの無い
国内の恥が、メディアを通して世界中の人々の耳目に触れ、
いかに愚かな者が国政のトップに立っているかを、ダラダラと
見せ付けているだけという事に、早く気が付くべきなのです。
少なくとも、美しい国日本を作るというだけの身の引き方は、
誰よりも早く気が付かなければいけない筈なのです。
あの厚顔無恥の鉄面皮を見るだけで、この日本という国に
嫌気がさすものです。
戦後レジームからの脱却を、声を大にして云うならば、
自分の血筋の大臣の事を、先ずおくびにも口に出さない、
潔い美しさが欲しかったと思う所です。
さて、どのような幕の引き方をするか、見物といえば見物です。
殺されてもいいというような、死を覚悟した目や顔に
なっていない以上、何をやっても、どんな終わり方をしても、
末代までの語り草の茶番でしょう。
まだ小泉さんの方が良かった。
小沢さんがいい。
どっちにも共通してるのは、何か、腹をくくった所を感じるから
でしょう。
国家元首たるもの、お願いだから自分の立場をわきまえて欲しいものです。
国政に空白がある状態は、正に今と感じて欲しいものです。

しかしね~、月5、600萬の金が欲しいんなら、何か別な
仕事した方がいいのにね。
トークショーで「岸を語る」とかいうテーマで、月に5~6回
しゃべれりゃいいんですよ。
この人が私達にはっきりと示した事といえば、
総理の器は遺伝しないという事ぐらいのものでしょう。

Posted by 石田千尋 指南の言葉 |

2007年9月10日

能あるタカよ、ツメを立てよ!!

ネットでチッヒーも仕事をしてます。たまに呼びかけもします。
良い子の皆はやってはいけませんよ~っ」とか、
ネットの恐ろしさや冷たさや、人権を無視していじめが
あったりする事だってあります。親に相談しましょうとか・・・。
でもね、なかなか子供って言えないのね。
親に心配をかけるとか、何か、無力なはずなのに
妙にいじらしい所、精一杯の背伸びというか・・・。
これが事件や事故につながったりとか・・・。

ひどいサイトだってあります。
犯罪の温床になるサイトだってあるんですね。
考えなくてはいけない」と専門家は言いますが、即行動に
移らなくては大変なのだと思う事が、あまりにも多すぎます。
チッヒーは法律家でも、専門家でもありません。
でも、こうなった方が良いという事はわかります。
多分、これを読んでいる方の中にも、犯罪につながるサイトに
対してどうすべきか、どう取り扱われるべきかという事を考えたり
思ったりしている人もいると思うのです。

もしこの中に、法に詳しい方や専門家の人達が居られるのならば、
チッヒーからのお願いです。
“皆が賛同出来るような良い方向性を、世に問うとか
示すとかいう事をやって頂きたいな~”と思うのです。
自分の専門とする良い能力を世に示し、そして皆のために使う。
それぞれの立場や出来る事を世に還元して、人々の生活は
成り立つと思うのです。

誰か、あぁ誰か、立ち上がってください”と、
今日も願ってやみません。
何の罪もなく命を奪われた人達が、
1日も早くうかばれるために・・・。

Posted by 石田千尋 指南の言葉 |

2007年9月 7日

1人をボコボコに。そんなのありか?

また子供が集団リンチ。
何と悲しくも情けない事でしょう。しかも、
ちょっとやり過ぎたかも知れない」という反省のコメント。
やり過ぎなかったら良いのでしょうか?許されるのでしょうか?
しかも1万円が欲しいがためにですよ。
本当にどうかしてますこの国は。
人に危害やら、嫌な思いをさせても、自分が満足すれば
それで良しっ。とっても幼稚な考え方に驚き、言葉も失います。

群れなきゃ何にも出来ないなんて、1番惨めな事です。

今度は30もとうに過ぎたバカ者達が、女性1人に
3人でかかって命を奪う。
恥ずかしいとか思わんのでしょうかね~。
卑しい物の考え方しか生れないのでしょうか?

美しくないです。

そういえば、よくサムライスピリッツとかサムライジャパンとか
何かにつけて勇ましい事に武士道精神を引用したがる所が
あるけれども、真の武士道精神って、皆が考えてる安易な
サムライゴッコの中にある様な上べだけの物では無いのですよ。

たまに葉隠れ(自分で調べなさい)の一節を書く事が
あるのですけど、その中に登場する人物、
まっその昔生きてた生身の人間、その人間が12歳位にして、
今の大人が考え及ばぬ事をやってのけているのですよ。

ある時、12の子供がお城に上がりました。
周囲の大人は「何とお利口そうな顔じゃ、行く末が
楽しみじゃわい、ほっほっほっ
」と・・・。
毎日の様に人々に言われ、ピタッとお城に上がらなくなり、
家に引きこもり、何も理由を言わずヒッキーになった小姓。
理由を聴いても、心配した上役が家に来ても、
ずっとヒッキー状態(ちなみに私は、チッヒー)。
ようやく部屋から出ると、何事も無かったかの様に城へ
上り始めました。
何で引きこもってたのか?」と上役に尋ねられた小姓は、
あまりに利口だと言われるのが辛く、バカにしか
見られない様な顔つきを工夫したならば言われまいと、
毎日、鏡で顔を工夫しておりました。

以来この上役は、むやみに人を褒めなくなったそうです。

同じヒッキーでも、今の子のやるヒッキーとは全然違うんですよ。
何かが、全ては、自分のせいだ、自分の責任だ、
自分が変わる以外に変える事は出来ない。
そういう考えが子供にすら、当然の様にある。
そういう精神の有り様が武士道なのですよ。

決してチャンバラ上手な暴れ者ではないのです。

何か大切な事を失っている今の人達に、武士道精神から
大事な哲学を学んでも、いえ、学ぶチャンスを小さい時に
作っても良いのではと思うのです。

もちろん、何百年も前の身分社会のものですから、今風に
上手にアレンジメントされなければいけないでしょうけど、
恥を知るという事がよくわかる筈ですし、集団で人の命を奪う
バカが減るのではと思います。

Posted by 石田千尋 指南の言葉 |

2007年9月 6日

移ったけど場所はひみつ

事務所を移転した。
理由は山ほどあるのだが才一に挙げたいのが、
静かな空間が欲しかったから。

何せストーカーの如き不届き者やら、あまり仲良くしては
いけない様な人も居るのでは、どうしてもイライラしたり
不機嫌な思いをする事も多く、物を書くという作業に
大きな支障を与えるものなのでありますよ。
かといって、家移りをしたから文体や、そのセンスやら質やらが
変わると思ってはいけません。
選挙に負けても首相がすぐに替わらないという様に、
チッヒーの文章もすぐには変化しないのです。

次に必要とされた移転の理由。
キッチンがしっかりしているという事が大切な事でありました。
何せ鯛は届く何は届くと、皆で美味しく頂くためには、
キッチンがしっかりせん事には始まらんのですよ。

これで昼や夕のまかないも楽になります。
まっ、ゆっくりと寛げる所が無いと人間おかしくなるものでして
(今までおかしかったのかしら・・・?)、コーヒーやら葉巻も
前よりも美味しく感じるのです。
やっと人間的な幸福を得た感があります。

ただ問題もあります。
マンションを事務所にしているので、当然お風呂もついていて、
玉ちゃんはもう辞めて行くというのに
バスタオルを持って来ていいですか~
とか言い始めてるのです。
多分そうなると、洗濯機だ何だと色々と増えて来て、
住居だか事務所だかわからなくなる様な気がします。
しかし洗面所を見ると、歯ブラシと歯みがき粉が・・・。
そう、もう玉ちゃんがしっかりと置いてました・・・。

Posted by 石田千尋 日々徒然の言葉 |

2007年9月 4日

チカッテホニャララ~

過去何回、あなたは誰に対して、何を誓いましたか?
振り返ってみると面白いもんですよ。

子供の頃から今のあなたに成るまでに、「コラッ」と大人に
怒られてシュンとしながら、「もうしません、ごめんなさい
とか「二度としません」とか、これなんかも誓うの部類に
入る事でしょうし、スポーツの得意な子は、何かの折に
宣誓!」とか右手を高らかに上げて叫んだりした事も
あるでしょう。
結婚の時なんかも誓いの言葉とか決められた言葉を
読み上げたりと、誓うという事が、何か最近は本当に
薄らいでいっていく感があるものです。
悪い事をしても、人を傷つけても、困らせても、誓ってと
言ったところでその場しのぎの茶番にしか映りませんね。

多分、耳に入り過ぎているのでしょう。
神に誓ってという人も、“本当にこの人の心の中に、
神(かみ)や佛(ほとけ)が居るのかいな”と思うような事ばかり。
むやみやたらにこの誓うという言葉を使い過ぎているのか、
普段から人々があまりにもいい加減で、目茶苦茶で、
どうしようもない嘘だらけだから誓うを使いたがるのか、
色褪せるのかを考えさせられます。

大昔の日本は、大人も子供も恥を知っていた。
恥ずかしいという心を持ってたものですよ。

人様に笑われる、御先祖様に申し訳がとか、
おてんとう様の下を歩けないとか。
そう、日本人の心の中にエンマ様が居た頃は、
誓うという言葉に、重みも責任も信頼もあったと思うのですよ。
嘘をつくと舌を抜かれるとか言うと、今じゃ確実に、お前の方が
嘘つきだとやられちゃいますね。
雷様だって言ったって、へそ隠すどころか、「ヘエーソー」。
高木ブーさんがあの格好をしても、「オニでしょう」と
言うのですよ。
コワイものが子供の心から消えてますね。
コワイもの、恐れるものが無い状態で大人になると、
もう嘘のつき放題、オンパレード。

ましてあんた、ケイタイ電話が出てからというもの、
待ち合わせに遅れる者供の、なんと多い事多い事。
今までは、5分前10分前には来てた人間も、何とか連絡がつく
ケイタイのおかげで、どんどん身勝手な遅刻者を増産しました。
昔は、ちゃんとその場所でその時間にご挨拶申し上げたのですが、
今じゃ、電話で「オクレマス、ゴメンナサイ」から話が
始まるのです。
まだ会っても居ないのに、変ですよ~ホントに!!
昔じゃ、誠意が無いとか、信用を自分で崩す奴とか、
ダメな人とか言われて相手にもされなくなってる筈なのに、
どういう訳か、今じゃこれが当然で、逆に“ウルサイ!”と
思われてしまうのです。
道理が通じない変な世の中にあっては、道理の1つ、
道徳の1つである、“約束”という誓いの言葉も
風化しちゃうんでしょうか?

“誓う”という字には、折るという字が入ってます。
その昔に、何かの大事な大切な約束の時に、何かを折った
という事らしいのです。

木の枝とか草とか、矢とかいう説もあります。
チッヒーは矢を信じたいですね。
“人をも殺す矢を目の前で折って、命の安泰を約束したのでは”
と思います。
そういえば、昔、鎌倉時代頃から、神社に戦勝を祈る時に、
矢に祝詞を結びつけて、「勝たせて下さい、勝ったら
これだけの事を神様にします
」という様な事を誓って
奉納する習わしもあるのですよ。

誓うって言葉は、そう簡単な心では使っちゃいけないものだと
思うのです。
同じ事を何度も繰り返したり、再婚、再々婚、再々々婚とかって、
どれだけの誓いが嘘である事でしょう。

そんな訳で、誓うという事を、もう一度よ~く考えてみて
下さいね。安易には使えなくなるでしょう。

そして、“使うからには信じるに値する人生にしなくてはね”
と、チッヒー思いますけど、いかが?

Photo










Posted by 石田千尋 一筆啓上 |

2007年9月 3日

粗略

さて選挙も終わり、組閣も新たに政治が始まったようですが、
“言って良い事、悪い事ってあるんじゃないの”というのが
山盛りテンコ盛りで、とっても目だるい1日でした。

何がって?
そりゃ~あなた、農水大臣ですよ。
農水だけは絶対やりたくなかった」と、なった後でカメラに
向かっての御発言。
“ならば、別な方にやって頂いた方が良かったのでは?”
と思うのです。ガッカリしてしまいました。
この国の農業。
いわば、国民の口に入る、生命をつなぐ源の部署に立つ者が
やりたくなかった」では、行く末が案じられてしまうのです。
輸入野菜の農薬の問題とか、牛肉の問題とか、食料自給率の
事とか、私たちの生活を支える大事な省ですのに。

徳川家康だって「農は国の元」と云っていましたし、
天皇様、皇后様も、水田と蚕を守って居られるというくらいの
ものでありますのに。
はなからヤル気が無いような事を言われるとは・・・。
どうして引き受けたんでしょうね。

山ほど仕事がある大事で大変な所に、元知事が入ってるし。
あれなどは、自分の党からの方が良かったのではないのかな~。
でも大変な所だから何かあっても・・・とか、余計なかんぐりを
しちゃうのです。

まっ、色々な見方、とらえ方があり、これから・・・という所
なのでしょうけど、せっかくの組閣が粗略にならないように、
「いやだった」などと不平、不満を公の前で言わずに、
国民の生命を預かる仕事を、全ての方に頑張って頂きたいと
思うしかありません。

Posted by 石田千尋 指南の言葉 |