プライドって何でしょうね~。
さて、まだ悲しい事が世の中に沢山ありますね~。
このブログを読んでいる人達の年令の幅が、実に広いという事には
驚きましたけど、たまにはと思って、皆に当てはめられる様に
書きます。もし「いいな」と思ったら、誰かに聴かせてあげて
下さいな。
「なぜ、いじめとかがあるんでしょう」と考え込んでしまいます。
皆、楽しく生きたいって願っている筈なのに。
小さな所では、大きな所ではと、区処せずに考えてみましょう。
国同士の戦争も、子供のケンカも大人のケンカも、人間、
同じ人間が行っているものなんですね。
よく「プライドのぶつかり合いだ」なんて言う人が居ますけど、
そんなモノのぶつかり合いで、傷ついたり、死んだり、殺し殺され
悲しみにくれるのですから、たまったものではありません。
戦争を決定した人が、いやバカ者が最前線に立って戦う事も無く
後方から作戦を出して、自分は最も安全な所に居るのが
今の戦争のやり方でしょうか。ヒキョウ者が大将なのですね~。
昔は、大将が矢面に立って戦ったもんですよ、洋の東西を問わず。
まっそんな事はさておき、よく使われる「プライド」という言葉。
皆さんは何を連想するでしょう。
きっと私と正反対のものを連想しているのではと思います。
私はプライドとは、とってもデリケートで、純粋で、無垢で、
壊れやすく、傷付きやすい、ガラス細工やアメ細工の様な物と
いうとらえ方をしています。
“プライド”ってともすると、ものすごく硬くて、何かを
はねつけたり、芯があって強くて、何か大切なものを守ったり
保護している様なとらえ方の人のが多いのではと思うのです。
でも、本当のプライドって、誰もが持っている生身の人間の
弱さや恐れや、か細くて壊れそうな、愛らしい、美しいものだと
思うのですよ。
誇りという人も居ます。でも誇りは、自慢や自己主張の
行き過ぎにも通じてしまう所がありそうです。
むしろ人としての、犯す事も犯される事も
(この犯すが、侵すは、もっとこわいですが)あってはならない
人権ではなかろうか。「生きるという事」、命をまっとうする
権利ではなかろうかと私は思うのです。
前に、「生きるとは」という事を書きました。人は必ずや
生まれた後に死を迎えるものです。どんなに不自由なく
生活しようが、やがてはこの世から消えてしまうものですよ。
どの様な亡くなり方をするかは、その人その人違いますが、
生きている間に意義ある時間の使い方をしなければいけないと
思うのです。
「生きる」という字は、その昔、大地から草木がニョキッと出て
成長していく姿をとらえて作られたそうです。
木を取り上げて話をいたしましょう。
年輪から、昔何があったのかを知る学問があるそうで、年輪と
年輪の間が広いか狭いかで、その時の1年の様子を
知り得るという事です。ただ天に向かい伸びているだけでは無く、
しっかりと寒い時、暖かい時を木は感じとり、我身の内にその様子
有り様を刻み込んでいるのですよ。
この様に私は、生きるという事は何かを感じながら、死ぬまでの
間を過ごす事。そして、良い事悪い事の中から生きていくための
学びをしっかりとする事だと思うのです。
生きるという事は、つらい事、楽しい事、半分ずつの人生を、
両方しっかりと受け止めて感じる事なのですよ。
そして、やはりつらい事よりも楽しい事を増やすために、努力し、
工夫し、考え、行動をするのが、人であろうかと思うのですね。
先ほど、プライドの話を書きましたが、
「人様が生きる権利を犯してはならない」。これは、人に苦痛や
嫌な思い出を与えてはならないという事にも置き換えられます。
戦争もそう。競争も、いじめも、国家であろうが個人であろうが、
大人だろうが子供だろうが、やって良い事と悪い事が
ある筈ですよ。それがわからん人は、「プライドが無い」という
分類になると思うのです。「厚顔無知の鉄面皮」という、
恥知らずな自分勝手な自分さえ良ければという方々です。
本当、最近増えました。とほほです。
“小さい子というか、成人していない子供も読んでいるブログだ”
という事を踏まえた上で、皆にわかるように書きますが、
皆、楽しく平和に暮らしたいのは一緒なのですから、
人様にも自分にも、嫌な、つらい思い出を与え残す様な
生き方はやめましょう。
“人なんて、そもそも弱いがゆえに社会を作って群れているんだ”
という事でしょう。皆弱くて傷付きやすいのです。自分の身の
回りから、どうすれば楽しく生活出来るか、やってみて下さいね。
何のために人は言葉を考えたという事が、きっとわかったら、
争う事も減るのではと思うのですよ。
夕食の後に
「いつもありがとう、ごちそうさま、おいしかったです。」
作った人は、どんなに幸せな心になるか。
「いつも遅くまでお仕事、ありがとうございます。」
こんな当たり前の言葉が、今すっごく新鮮に聞こえるならば、
それはもう大変な事です。当たり前の感謝の心が、
当たり前では無くなっているのですから。
まっ、今からでも遅くないと思います。それぞれの出来る所から、
少しずつ変わっていけばよいのではと思うのです。



